無意識の領域
お久しぶりです。
自分でも遠のいてたくらいなので、コレを読んでる人がいるのかすら不明なのだが、記録の意味も込めて書いてみようと思う。
私は、特に不満などない日々を過ごしているのだと思っている。
考えてみても私はとても満足出来る環境だ。
だけども、心が何だかパッとしていない。
本気で笑ったのはいつだっけ?といった感じだが、さっきも言ったようにこれと言って不満は思い当たらなかった。
今日、数年ぶり、いや10年ぶり位に古い友達と会っていた。
気が付けば過去のいろんなことを何となく話していたのだが、コレが結果的にとても重要なことに気付くきっかけとなった。
この友達と話して気付いた事、知った事がある。
まずこれらを聞いてほしい。
感じていた事
・恵まれた環境で特に不自由ない
・大切な人に愛されている
・やりたい事が思い浮かばない
・平穏な日々も幸せの一部
・妊活を休憩する事でストレス軽減
・何となくつまらない気がしている
とりあえずはこの辺りだろうか?
知った事
・人に優しく自分に厳し過ぎる
・自分を認められていない
・相手が喜んでくれる事で自分を評価している
・自分で諦める理由を付けてる
こんな感じである。
この「知った事」によって、私が感じている「今」が何故なんとなく満たされていないのかはっきりした。
私は小さなものから大きなものまで、マイナスな出来事全部ひっくるめて、自分が悲しむ事で自分がこれ以上傷つかないように理由を付けて諦めようとしていたのだと知った。
私は人が悲しむと悲しくなるし、嬉しくなると嬉しい。
これは事実だ。
でも、自分の為に悲しんだり、自分の為に嬉しくなったりする事が出来ていない。
自分を見ているつもりで、他人の目というフィルターを通しそこで初めて自分を見ていた。
見ているつもりで見れていなかった。
だから頭で考えた時に満たされているはずなのに気持ちがどこか置いてきぼりだった為、なんとなくつまらない気がする?と感じていた。
でもこれは自分が自分に厳しくしていたから気付けていなかった無意識の領域で、自分でも知らぬ間に自分を騙して誤魔化していた。
「私恵まれてるよね」
「不満が思い当たらないよね」
他にも
「○○だから仕方ないよね」
そうやって、自分のなりたい自分を見ないようにしていた。
だから、どんどんなりたい自分がわからなくなって、先のビジョンが見えなくなっていた事に気付けた。
自分に自信がないからなのかな?と思っていたけれど、それも自分を認めてあげてなかったからなのかなと思った。
そもそも無意識であるが故に、自分が自分に厳しいと知らなかった。
確かに他人は良いけど自分はしない、したくない、などの自分ルールと称しているものはあったが、それが自分に対して厳しく基準を設けている事に気づく事が出来なかった。
無意識だから。
皮肉にも人に言われて、「あぁ、そうなのか。だから自分を責める事はあっても、褒める事がないのか。だから誰かに褒めてほしいのか。認めて欲しいのか。」と初めて気付いた。
頑張ってしまう。
これは決して悪い事ではないし、素晴らしい事のはずなんだけど、「無意識に」完璧を求めてしまい頑張っても頑張っても自分を認めてあげる事が出来ない。
誰かが認めてくれるまで自分を認める事が出来ない。
認める事が出来なければ許すことも出来ない。
ざっくり言うと、これが私の本当の環境だった。
決して幸せじゃ無いと言ってるわけじゃなくて、自分の楽しさや嬉しさを蔑ろにしていた事に気付かないまま、自分を誤魔化す事に慣れてしまっていた。
知っての通り、私は自分に嘘を付く事が嫌いだし、それによって自分が傷付く事を知っている。
だけど、それを自分でしている事に気付いてなかった。
自分の気付かない本質、これが無意識の領域である。
私は友達と話をしながら、これに気付かされた。
自分で(無意識に)自分に厳しくし過ぎて、いろんな事に自分で(無意識に)ブレーキをかける。
(無意識)だから、自分の心が本当は違うかもしれないと言う可能性が見えなかった。
唯一現れていたのが、何となくのその違和感だった。
私はいろんな事に対してこの無意識下の考えが染み付いているので、全ての事にこの考えが影響していて、一つ一つの腑に落ちない原因がわからなかった。
だからその一つ一つに問題は無いと判断していた。
表面上は。
まさか直接関係ない所に原因があったなんて…
驚きを隠せなかったけど、自分の行動や感情がそれによって一本に繋がった気がした。
点と点が線で繋がった瞬間みたいな感じ。
気が付いたら話している間に、何度も勝手に涙が流れて自分でも理解してない感情が湧き出てた。
あぁ、私はいっぱいいろんなものを抱えたまま、自分でも知らない間にいっぱいいっぱい我慢していたんだって。
そっか。私、自分で気付かなかったけど、とっても傷付いているのに、私は大丈夫。私は出来る。私は強いって言い聞かせていたんだって。
悲しいね、苦しいね、頑張ってるよね、大丈夫だよって本当の所に向かい合ってあげる事がもっと必要なんだなって。
もっと自分を愛してあげる事が私には必要なんだなって。
他人を通して自分を見るのではなく、自分の心を見てあげたいなと思った。
そしたらきっと、昔みたいに純粋に自分の事が好きになれるし、好きになると自信が湧いてくる。
自信があると行動力が出てきて、欲も出てくる。
そうすると不思議な事に、自分がなりたい自分のビジョンが浮かび上がってくる。
私は子宮外妊娠の後、そんなつもりはなかったが自分を責めていたんだと思う。
それこそ無意識下で。
でもそれは私が悪いわけではない。
頭ではわかってるつもりだった。
でも責めてた。
その後の不妊治療にプレッシャーがのし掛かってたのもこれだろう。
友達は私に子供がいたらどんな子になって欲しい?と聞いた。
私はのびのびと育って欲しい。私と真逆の子になって欲しいと言った。
裏を返せば、のびのび出来ない環境にある私の様な苦しい思いをしないで欲しいという事だった。
これが自分で自分に貼ったレッテルだったのかと、気付いた。ハッとした。
そっか、私は自分で自分の首を絞めていたんだと気付かされた。
今日、今の私に必要な事は、自分を正しく評価して認めてあげる事だと感じた。
先はわからないけれど、今までよりも自分で自分を認めてあげる事が出来たら、自分がなりたい自分をまだ見つけられるかもしれないね。
そんな気がする。
私の周りには自分のことを自分で正しく評価せず、自分に対してだけ厳しい評価を下す人が多い気がする。
そう思ったから、この今の気持ちが新鮮なうちに記しておきたかった。
自分がまたわからなくなった時にも、これを見て今日みたいに、私、そうだった!って思い出せるといいな。
自分を幸せに出来るのは自分。
わかっているのにそれが出来ていなかった。
すっかり忘れていたけど思い出した。
なりたい私が見える私は何でも出来るし、何でも叶える力がある。
勢いもあるだろうが実際叶えてきた事も事実。
それがわかったところでまず私が出来るのは、そのままの今の自分を認めてあげる事。
気付かせてくれてありがとう。
2021.5.16